「四日市空襲について知ってもらい、戦争や平和について自分たちで考えてほしい」と、四日市市小杉町の出口敦子さん(63)は、四日市空襲の体験談を収めた動画を昨年8月、ユーチューブで公開した。動画を見たカナダ在住のアーティスト井早智代さんが、台湾で旧日本軍海軍燃料廠の研究する大学教授らと共に来日することになり、来月出口さん宅で対面する。時代と国境を越え、四日市空襲が語り継がれていく。出口さんは対面を前に四日市市にあった当時の第2海軍燃料廠について知る人を募っている。
動画制作の経緯
動画は、岡野繁松さん(享年90)が、生前25年に渡り発行していた、昭和の四日市の人の暮らしや思いを掲載した「旧四日市を語る」をもとにしたもの。2015年末期がんで入院しながら最終集を編集した岡野さんは、編集を手伝っていた出口さんに「旧四日市を頼む」と言い残し他界した。
出口さんは19年、冊子の四日市空襲の部分を朗読し、約15分間の動画「四日市空襲を語り継ぐ」を制作、CTYで放映された。「若い世代に平和について考えてほしい」と、昨年1作目に新しい動画を加え、続編2作も制作。「新・四日市空襲を語る」を三部作の作品として8月に公開した。
台湾では
台湾の国立陽明交通大学の応用芸術研究所のウェンシュウ・ライ教授は、日本統治時代台湾の新竹市に建設された日本海軍の第6燃料廠の研究をしている。ライ教授は、四日市市にあった第2海軍燃料廠を含む日本軍の6つの燃料廠のその当時の相互関係や運営概念を調査することで戦争や平和、自由、民主主義を取り巻く姿勢や認識を理解することに努めている。「台湾と日本が協力して、幅広い世代に知識を伝え、理解を深めたい」と、第2海軍燃料廠のあった四日市市の来訪を望んだ。
来日を決めたライ教授
ライ教授は、親交のある井早さんが四日市市に近い津市出身であることから、協力を依頼した。50代の井早さんは四日市に海軍燃料廠があったことも空襲があったことも知らず、それらについて調べるうちに、出口さんの制作した動画「四日市空襲を語り継ぐ」を見つけ、出口さんに連絡。ライ教授にも動画を紹介した。ライ教授は「戦争を繰り返さないために、若い世代に伝える活動をする出口さんに会って話を聞きたい」と、来日の行程の中で出口さんに会うスケジュールを加えた。
戦争や平和に対する出口さんの思い
出口さんも戦争は体験していない上、第2海軍燃料廠に関する知識もなく、ライ教授に有益な話ができるのか自信はないが「海外の人からも動画の反響をいただいたことはとても嬉しい。これからの平和への考察は、ライ教授がおっしゃるように、グローバルな視点が必要不可欠だと思う。平和を望んだ岡野さんの思いをつないでいきたい」と話す。現在第2海軍燃料廠について知っている人を募っている。

〔中学生に四日市空襲について語る出口さん〕
昨年出口さんは、動画を見た四日市市立富洲原中学校の生徒とも交流した。「こうした取り組みを通し、戦争や平和について、戦争を体験していない世代が、自分の頭で考え、自分たちが今できることを実行に移してほしい」と語った。
第2海軍燃料廠について知る人の出口さんへの連絡は電話(090・3587・4198)まで。

〔井早さんのホームページを見て話す出口さん〕