「幻の合同駅」を想像して歴史を散歩、四日市の街の変化に驚きも

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【水谷武生さん(左端)の説明を聞く参加者たち=四日市市の駅前商店街】

 明治の終わりから大正にかけて、四日市の中心部では鉄道会社が競うように敷設計画を立て、今のハローワーク四日市の場所には「幻の合同駅」も存在していた。そんな過去の四日市に思いをはせる「歴史散歩」の催しが5月16日にあり、歴史愛好者らがかつて軌道が敷かれていた道路を散策した。

 積極的な社会参加を促しているシニアサークル「男の囲炉裏端」の会(志田米蔵代表)が主催した結成12周年記念事業の市民公開講座で、四日市諏訪商店街振興組合理事の水谷武生さん(75)が案内役を務めた。歴史が好きな11人と、「youよっかいち」で職場体験学習をしている中学生2人と記者の計14人が、軽妙な水谷さんの説明を聞きながら、商店街のスーパーサンシ一番街店前からハローワーク四日市まで一直線の約800メートルを歩いた。途中、四日市市役所北では市場の農家から昔の話を聞いた。朝日新聞四日市支局や塚本医院の北を東に向かい、CTYを左に見ながら、終点のハローワーク四日市前へ。

今は道路になっているかつての軌道を散策する参加者のみなさん

 「幻の合同駅」は、現在の近鉄湯の山線につながる四日市鉄道と、現在の四日市あすなろう鉄道につながる三重軌道が共用していた駅。商店街のメーンアーケードから一直線に、2社の軌道が並行して敷かれていたという。駅舎も軌道の跡も残っていないそうだが、「線路の南側は菜の花が満開だったそうな」「当時の列車は遅くて自転車にも抜かれていた」などと、かつての四日市の時間の経過を想像しながら、会話もはずんだ。

 水谷さんは、当時の四日市鉄道と三重軌道の計画だと、両社の軌道が商店街付近で交差する状況になってしまうため、調停により、東へ並行して走らせることになったと解説した。

 職場体験で参加した市立南中学2年の野田大智さん(14)と佐藤潤一さん(13)には、初めて知ることが多く、とても興味深い体験だった。野田さんは「過去の姿が何かの理由で変化して今がある。それは四日市の街も同じで、過去の歴史があって今があることの大切さを思った」、佐藤さんは「今の市街地や道路を、かつて機関車が走っていたなんて、今の風景からはかけ離れていて、非日常的。そんなことを想像して、とても面白いと思った」などと話していた。(これまでの記事中写真は中学生2人の撮影です)

中央で説明する水谷武生さんを取材する職場体験の中学生2人