「四日の市」開き続けて100回目、6月4日に到達、大学誘致構想も浮上のJR四日市駅前

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 「四」のつく日に市が立ち、市名の由来とされる四日市市。毎月4日、JR四日市駅前で続く「四日の市」が、6月4日に100回目を迎える。新型コロナが猛威をふるった2020年以降は自粛も余儀なくされたが、東京でカフェを開いた市出身の男性の情熱と仲間たちが、今は大学誘致構想も浮かぶこの地域で9年余の灯りを守ってきた。【ミュージシャンの演奏を聴きながら買い物や飲食を楽しむ人たち=5月開催時、JR四日市駅前】

 「昔、JR駅には立派なレストランがあったんさ」。年配の市民は懐かしそうにそんな話をする。今、にぎわいは近鉄四日市駅周辺に取られ、イベントの開催も片寄っているが、「四日の市」は変わらずJR駅側にベースを置いてきた。

■東京に出た舘則之さん

 「四日の市」を始めた中心人物は舘則之さん(52)。小杉町で生まれ、四日市工業高校を卒業後、東京に出て、店舗の企画開発やイベント事業を経験。その間に出会った若いアーティストの活動の場をと、派遣社員をしながら一進一退の末、2004年9月、三軒茶屋に自らの店、カフェ「a-bridge」を開いた。

 屋上から街を眺められる居心地のよさと、「兄貴」のような舘さんの人柄もあって、ミュージシャン、映像作家、イラストレーターなど多彩なジャンルのアーティストが集まった。イベント開催のほか、フリーブックを制作して全国に配布し、音楽レーベルを立ち上げてライブツアーをするなど、活動を広げた。故郷の四日市でも何度かイベントを開いた。それをきっかけに、四日市でも定期的なイベントを開きたいと、定期市の開催を考えた。

 農家や陶芸家など生産者の勉強会にも顔を出して出店を頼み、実行委員会をつくってJR四日市駅長に何度も協力を求めて2014年5月にスタート。JR駅からそう遠くない四日市市新町にビルを借りて「フクワライビル」と名付け、演奏活動ができる「café MONACA」を開店。舘さんは三軒茶屋と四日市の二拠点での活動に入った。

■1年後に襲う仲間との別れ

 軌道に乗りかけた1年後、「café MONACA」の店長で「a-bridge」のスタッフでもあった大事な仲間を交通事故で亡くした。享年29歳の若い力を失い、「四日の市」も続行できるか悩んだが、「大風呂敷を広げた以上、やめるわけにはいかない」と、仲間たちと乗り越えた。

 「四日の市」の基本的な考え方は「生産者と創作者を繋ぐマーケット」だ。農家の作物、手作りの菓子や雑貨、音楽や詩人らの創作が、さまざまに交流できる場にしたい。衣類や古いレコード、アクセサリーなどの店が並び、地元や東京から来たミュージシャンの演奏を軽食や飲み物を手に参加者が楽しんでいる。

■若い学生たちがJR駅に集う?

 JR四日市駅周辺地区は、最近になってニュースも多い。市が新しい大学を誘致する構想を発表、それを核に地域の再開発を進めたいと考えている。JR駅かいわいに若い学生が集う日が来るのかも知れない。

 「四日の市」の開催日、舘さんは必ず東京から来て、顔見知りの出店者たちと言葉を交わす。今は、新町のビルの「フクワライ眼鏡店」の店長、水谷真大さん(37)が四日市での窓口役として舘さんを支えている。(なじみの人たちと言葉を交わしながら会場を歩く舘則之さん=5月開催時)

 「当たり前に毎月開催されて、みなさんに来てほしい。四日市なんだから、4日は市民の休日にすればいいのに。そうすれば市内各地で様々な行事ができて盛り上がるんじゃないかな」と舘さんは思ったりもする。

 6月4日は四日市市在住の社会人のマリンバとコルネットを含む5人編成バンド「NIGHT SAFARI COFFEE BAND」らが演奏する予定だ。

(2023年6月3日発行の第220号にも掲載しています)