「コラム」ふるさとの名前 第19回【河原田・内部】

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杖衝坂

 河原田の名は、鈴鹿川と内部川に挟まれた河原に水田が広がる様子から付けられました。万治2年(1659)の大洪水で、河原田、川尻、貝塚、内堀の4村が壊滅的な被害を受け、村ごと集団移転した歴史があります。町名の由来は、内堀は川原の中の凹地。大治田の大は接頭語、冶田は開墾地の意味。貝塚は貝が囲われた土地を表す「垣」が転じたもので、塚は小高く盛り上げた土地。 川尻は内部川の終りの意味で、鈴鹿川と合流する地域です。

 内部地区にはその昔、伊勢湾の入り江が奥深く入り込んで波打ち際がありました。そこで「打邊、打邊川」と言われたのが地名の由来です。明治22年に釆女・小古曽・波木・貝家・北小松の5村が合併して三重郡内部村となり、その後、鈴鹿郡の南小松村が編入しました。町名の由来は、釆女は古代官制の女官職名で、釆女には有名な杖衝坂があります。小古曽の小は接頭語。古曽は古代語で社(やしろ)、祠(ほこら)の意味と考えられます。貝家の貝は囲われた土地や小集落を意味する「垣」が転じたもの。北小松の小松は時の権力者、辻前杵が長男の小松に支配させたことから付けられた説と、内部川が氾濫し川原と化した後、千余本の小松が生えたことによる説があります。波木は、剥(は)けが転じたもので崖地。森カ山は森がある山です。

協力:四日市観光ボランティアガイド 監修:四日市市立博物館
※2022年11月5日(213号)発行 紙面から