「とにかく情報が少ない中で向かいました」と10年前を振り返る四日市市消防本部の大﨑光さん(36)。東日本大震災の発生翌日から、三重県から緊急消防援助隊として被害のあった地域で活動した。【派遣先の千葉県や宮城県の状況を話す大﨑さん=四日市市消防本部で】
当時は同消防本部で高度救助隊に所属、未曽有の大震災発生を受け、「自分が行って力になりたい」と消防士としての使命を果たすことへの思いが強かったという。発生から約3時間後、現地へ赴くことが決まった。
当日午後11時には、緊急消防援助隊の集合地だった桑名市を出発。最初の活動地となる千葉県市原市には翌12日の正午に到着した。遠くからもコンビナートにあがる黒煙が見えた。危険物対応部隊が活動する中、大﨑さんの部隊はテント設営など後方支援を中心に活動した。
13日の早朝には同市を出発、向かったのは宮城県仙台市だった。あらゆるライフラインが止まり、津波の被害が大きく、街は壊滅状態。自衛隊らによる給水に並ぶ人の行列も見た。そこでがれきを撤去しながら人命救助を担った。ただ、津波による被害が大きく「がれきの中から救助などは訓練で想定していたが、津波によるものは手探りだった」という。
現地での活動は3日間、2次派遣隊と交代となり、三重へ戻った。戻る際、「ありがとう」と手を合わせて礼を言う人もいたそうだ。
約2か月後には職員の有志で被災地へ向かい、ボランティアとして被害のあった家屋の畳をはがすなど、支援活動もした。「人と人、日頃の仕事においてもより意識するようになった」と大﨑さん。「災害には防災への意識はもちろん、人同士のつながりがいかに大切かを改めて感じました」と語った。