伊勢湾台風殉難者慰霊献花式が9月26日、三重県四日市市の富田一色海浜緑地公園内の慰霊碑前であった。1959年のこの日に襲った災害史上最大の風水害で、同市だけでも110余人が亡くなった。遺族らは当時の様子を今も忘れることなく記憶しており、森智広市長は「災害に強い市をつくる」と誓った。
市が主催して開いており、地元の自治会関係者など30人余が参加した。黙とうのあと、森市長が追悼の言葉を捧げ、「家屋の全壊や流出など被害は大きく、今も線状降水帯による大きな被害が各地で起きている。過去の教訓をもとに防災に取り組み、災害に強い市づくりに努力します」と述べた。
このあと、関係者らがひとりずつ献花をした。夫や長女ら家族4人を失った鈴木幸子さん(93)は、「今年も、こうして出席できたのがありがたい」と話した。おなかの中に子がいて、長女を背負って、からくも救助されたという。
富田一色連合自治会長を務める藤田信男さん(82)は、当時、高校生だった。夕方6時ごろに浸水が始まり、家族ら7人で2階に避難した。2時間ほどで床上2メートルの高さまで水が来て、階段は一番上の段が見えるだけだったという。
水も食べものもなく2階で待ち、1日半以上たって、家から出て周囲の被害の大きさを目の前にした。この地域は市内で最も被害が大きく、50数人が亡くなった。藤田さんも友人や先輩を失ったという。
「このあたりには避難タワーがなく、民間の比較的高い建物に協力を求めることになるが、大地震の津波を考えると緊急の避難先は心配。子どもや孫の世代のためにも、早く安心できる対策を整えてもらいたい」と藤田さんは話していた。