駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域として、100から150年間隔で繰り返し発生してきた南海トラフ巨大地震。1944年の昭和東南海地震と1946年の昭和南海地震の発生から70年以上が経過した現在、新たな巨大地震発生の可能性が高まっており、8月8日には南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が2019年の運用から初めて発表された。
1944年12月7日に紀伊半島沖を震源に発生したマグニチュード7・9の「昭和東南海地震」。地震に加え大津波が熊野灘から東海沿岸を襲うなど被害は甚大だったが、太平洋戦争末期で地震発生そのものが秘密扱いされたため、「隠された地震」とも呼ばれている。
四日市市内でも全半壊の建物は1200戸以上、死者は20人以上に上ったとされる。「東洋一」と言われた石原産業の大煙突(185㍍)が3分の1に折れたことも、人々に衝撃を与えた。
四日市市天カ須賀の加藤清男さん(88)は当時、富洲原小学校の2年生だった。運動場にあったイモ畑で作業をしていた昼過ぎに突然、体が大きく揺れ、立っていられないほどの状態になった。近くにあった池の水が大きく波打つ様子も見えたといい、加藤さんは「地震というものを知らなかった。何がなんだか分からなかった」と当時を振り返る。
揺れが収まってから迎えに来た父親が「これは地震や」と説明してくれた。いつも通っていた橋も「ぐにゃぐにゃ」に曲がり、父親に手をひかれながら恐る恐る渡った。周囲の家は傾き、まともに建っている家はなかったという。
その後、連日続いた余震は加藤さんの恐怖心を更にあおった。「何があっても壊れない」と信じていた防空壕で寝る日々が続いた。「揺れが続き、気持ちが悪かった」と話し、80年経った今でも当時の感覚が脳裏に刻まれている。
成人後、警防団(消防団)で長年、地域の防災のために活動してきた加藤さん。今回の南海トラフ地震臨時情報を受け、「家の中でも、日ごろから家具の位置やいざという時の避難経路などを確認しておく事が大事」と話していた。