「学校に行きたい」「友達に会いたい」――。元気いっぱいでダンスが大好きだった女の子、宮田夢さんは、小学2年生の2020年2月、呼吸や心臓の動きを司る脳幹に腫瘍が見つかり、その8か月後に9歳で天国に旅立った。存命なら今は6年生。在籍していた四日市市立浜田小学校(北浜田町)は、3月に卒業証書を授与することを決め、夢さんはかつての友達と一緒に卒業式を迎える。
小児がん闘病 9歳で早世
在校生や保護者の間で夢さんのことを思う人が多数いることを受け、「夢さんの家族や皆の気持ちに寄り添い、学校ができることを考えた」と話す松月雄一校長。「心の中にいる大切な仲間と一緒に次のステップに進んでほしい」と思いを語る。
いつも公園で男の子達の先頭を走るほど元気だった夢さん。右手の麻痺から始まった症状が日に日に進み、根本的な治療法がない希少疾患「脳幹グリオーマ」と診断された。
体の自由が利かなくなる中、放射線治療に臨んだが、発症が新型コロナウイルスの蔓延初期と重なり、入院生活は輪をかけて苦しいものに。母の恵さんが 24時間付き添ったが、父の幸和さんや4歳上の兄とは会えない日々が続いた。
頭痛や脱毛などの副作用を乗り越え、5月半ばに退院し、一時は車椅子で登校できるまでに回復。友達から「安心して学校に来てね」と手紙をもらった。
リハビリにも励み、本来は右利きだが左手での筆記も上達。勉強やタブレットの扱いも、友達が教えてくれた。恵さんの心配をよそに、体育の授業のバスケットボールを夢さんもやりたがり、友達がボールパスの相手をしてくれた。
しかし、7月末に再び体が動かなくなってきた。再発だ。つらい抗がん剤治療にも、夢さんは涙を流しても文句ひとつ言わなかった。
誤嚥性肺炎で緊急入院していた9月19日は9歳の誕生日、サーティワンのアイスケーキでお祝いした。選んだのはチョコレート味。話すことも難しくなっていたが、笑顔で味わった。食べることが大好きな夢さんの、最後に口にした食べ物になった。
母「恥じぬように生きたい」
誤嚥の危険を避けるため、絶食で治療が続いた。よほど苦しかったのか、夢さんは「のどを切って」と、人工呼吸器を求める意思表示をしたという。医師からは「もう今は、1日も早く家に帰らせてあげたい」と告げられ、恵さんは慟哭した。
退院して3日、少し落ち着いた時間が訪れた。恵さんの問い掛けに夢さんは、まばたきで「食べたいものたく さんある」「ダンスもしたい」と答えたという。その2日後、家族が見守る中、息を引き取った。
深い悲しみに暮れて一時は生きる気力を失った恵さんだが、今は「最後まで頑張った娘に恥じないように生きたい。次に会った時に『ママはこう生きたよ』って伝えられるように」と、献血やヘアドネーションなど、できることに取り組んでいる。
卒業証書をどんな形で受け取るかはまだ調整中だが、卒業式では夢さんの名前も呼ばれる。