たった1本のギターでメロディーもリズムも弾きこなすソロギター。四日市市に今、ひとりの達人がいる。竹内いちろさん(60)。京都で生まれ、名古屋などを移り住み、四日市市に落ち着いて11年余になる。この街の暮らしに慣れ、穏やかな日々を楽しむようになった。「そろそろ、2枚目のアルバムもつくりたい」。10月9日、諏訪公園の交流館フォークジャンボリーにも出演する。
2005年、モリダイラ楽器主催のフィンガーピッキングコンテストで最優秀賞を獲得。翌年、米国ウィンフィールドのナショナルフィンガースタイルギターコンテストでトップ5のファイナリストに。この活躍で、ソロギター奏者としての名が広まった。
生まれは京都の東寺の近く。中学2年の時、同級生が井上陽水の歌のイントロを弾くのを見て「かっこいい」と思い、ギターを弾くようになった。中学3年で初のバンドを組み、大学時代には祇園のキャバレーなどで金を稼ぐまでに。
大学を出てギター講師になり、夜は演奏の日々。バブル絶頂期で、金にはなったが、神経をすり減らし、疑問を感じて音楽から離れた。小さいときから鉄道の線路が好きで、目に入ったのが「軌道作業員」の募集。「線路内に入れる」と飛びつき、5年ほど枕木を交換するなどの肉体労働に明け暮れた。
それでも、ギターは手元にあった。練習して難しかったことができるとうれしくて、没頭できた。「ギターがなかったら、今ごろ、僕は存在していなかったかも知れない」とふりかえる。音楽の世界に戻った。
名古屋に住んでいたころ、四日市市内の楽器店にも講師として来ることがあり、歩いているうちに四日市の街が好きになった。「京都人から見れば、四日市の人は温かくていい人が多い。宿場町で大勢を迎え入れてきた歴史があるからかな」と思う。中心市街地の、昭和30年代に建った店を借りて自宅にし、2012年春に四日市市民になった。
音楽仲間もうらやむ耳のよさで、さまざまなジャンルの演奏をこなして自分の演奏スタイルをつくった。2010年にはオリジナルの初CD「竹内いちろ」を発表している。
竹内さんは、東京、名古屋、京都などでの演奏会のほか、少人数の生徒のギター教室や、ギタリストなどの演奏会のプロデュースもしている。「竹内いちろ」で検索すると、SNSではライブ出演情報のほか、最近凝っている手料理なども紹介されている。