三重県四日市市の「じばさん」で7月29日、「講演会~四日市公害を忘れないために~」が開かれた。四日市公害裁判の原告弁護団を理論面で支えたとされる弁護士で名古屋大学名誉教授の森嶌昭夫さんが、「四日市公害を出発点に、戦争や気候変動というあらたな今の難題に考えをめぐらせてほしい」と語りかけた。【講演する森嶌昭夫さん=四日市市安島1丁目】
四日市公害訴訟の原告勝利の判決が1972年7月24日にあってから51年を迎え、四日市市環境部四日市公害と環境未来館が企画した。会場の視聴覚室は約70人の聴衆でほぼ満席。開会あいさつに立った森智広市長は「環境都市としての取り組みをさらに進める」などと決意を述べた。(開会あいさつで決意を述べる森智広市長)
森嶌さんは、現在の北朝鮮のピョンヤンで生まれたが、日本の敗戦で政治状況が180度変換し、時に兵士へのわいろなどを使いながら、必死に日本へ引き上げた少年期の思い出を語った。「今の日本は平和だが、いつ難しい局面がやってくるかも知れないことは今も変わらない。その時、どう考え、進むべき方向を切り開いていくか」
米国ハーバード・ロースクール留学から帰国して四日市公害訴訟にかかわった森嶌さん。当時は名古屋大学法学部助教授だったという。訴訟で四日市石油コンビナート6社に対して損害賠償を請求するにあたり、「共同不法行為」の考え方を展開し、原告のぜん息の原因についてもコンビナートのフル操業から磯津地区の硫黄酸化物の濃度が急激に上がった事実などを挙げたことなど、裁判の進め方に考えをめぐらした当時のことを語った。
森嶌さんは、講演の最後に、ロシアによるウクライナ侵略や中国の動きなど現在の国際社会が動いていることを挙げ、これからを生きる我々がどう考えるかが大切だとし、「四日市公害を単にふりかえるだけでなく、そこを出発点にして、自分たちの未来にどんな考えをもつべきか」が重要だと語りかけた。