平和への願い、あの日の肉親や友人らに伝える、四日市空襲犠牲者慰霊献花式

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 四日市空襲犠牲者慰霊献花式が6月18日、三重県四日市市の鵜の森公園であった。公園内の四日市空襲殉難碑の前に市や自治会、親族や友人を失った市民らが集い、黙とうと白菊を犠牲者に捧げ、平和への思いをあらたにした。【四日市空襲殉難碑の前で献花する人たち=四日市市鵜の森1丁目】

 慰霊献花式には市、三重県原爆被災者の会(三友会)四日市支部、市自治会連合会、市老人クラブ連合会などの関係者ら30人余が参列した。黙とうのあと、森智広市長が「30万都市になった今の四日市があるのも、心ならずも犠牲になったみなさまがあってこそ。世界では今も戦いが続くが、平和への願いを継承していきます」などと式辞を述べた。(黙とうを捧げる出席者)

 このあと、出席者1人ずつが白菊を殉難碑の前に供えた。友人5人を失ったという竹野れいさん(92)は車いすで参列し、手を合わせた。「この日だけは、ここに来ないわけにいかない」などと話した。空襲直後に市内に入ると、靴をはいた足の裏が熱かったことを鮮明に覚えているという。(殉難碑に向かって手を合わせる竹野れいさん)

 市の資料などによると、空襲は1945年6月18日から8月8日まで計9回続き、死者800余人、被災者4万9198人にのぼるという。米軍の焼夷弾は市内のほぼ三分の一を焼き尽くしたとされ、防空壕に逃げた人たちも吹き込む熱風などで亡くなったという。

 市立博物館では9月3日まで、学習支援展示「四日市空襲と戦時下のくらし」を開催中だ。焼夷弾の一部や空襲時前後の空撮写真、当時の市民の暮らしぶりを知らせる資料などが展示されている。