飛び出せ白銀の峰へ、鈴鹿山系拠点の小寺教夫さん、五輪視野にSKIMOの世界選手権へ

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 鈴鹿の山を練習拠点に活動する「朝明アルパインクラブ」所属の小寺教夫さん(43)が、スイスで2月下旬に開かれる山岳スキー競技、通称「SKIMO(スキーモ)」の世界選手権に日本代表選手として出場する。SKIMOは2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪の新種目に採用が決まったばかり。雪山のアップダウンをスキーと登山技術を駆使して駆け抜ける。小寺さんは五輪出場を新たな目標に定め、本格的な挑戦を始める。【2019年ワールドカップ第4戦スイスのインディビジュアル競技でゴールし、スキーを掲げる=小寺教夫さん提供】

 三重県いなべ市大安町で生まれた小寺さんは、小さい時から藤原岳や竜ヶ岳、御在所岳など鈴鹿の山に親しんだ。四日市市の私立海星高校では陸上部で長距離走に励んだが、大きな成績は残せなかった。

 それが、陸上とのかけもちでやってみた国体の山岳競技、トレイルランニングで頭角を現す。10キロの荷物を背負って山を駆ける競技だが、高校3年の1997年大阪国体でいきなり全国6位に入賞。「坂道なら負けない」と自信になった。

 この国体でライバルになった競技仲間が、28歳の小寺さんをバックカントリースキーに誘った。レジャー用に整備された区域の外をスキーで登る。それが、とんでもない、いい天気で、立山連峰と青空の景色に感動し、雪山に挑む山岳スキー競技にのめりこむことになった。

◇レンタル道具でいきなりの9位

 本格的な競技への参戦は30歳代半ばから。2014~15年の国内最初のシーズンに競技専用ではないレンタル道具で出場したにもかかわらず9位のシングル順位を収め、注目された。その後、日本人初ワールドカップポイント獲得(2017~18シーズン)、アジア人初スプリントレース決勝進出(18~19)、アジア人初ワールドカップ全戦出場(同)、ワールドカップ総合ランキングアジア歴代2位(同)の成績を収めるなど、数々の記録も打ち立てた。(2019年ワールドカップ第2戦アンドラで地元選手と笑顔で交流する小寺教夫さん)

 五輪では、まずはSKIMOの中のスプリント種目出場を目指す。20歳代の若くて屈強な外国人選手と戦うことになるが、小寺さんは臆していない。毎朝、滋賀県境の鈴鹿の山で林道を登り、会社から帰れば筋力トレーニングをする生活。「総合的な筋力はまだ上がっている実感があるし、身体条件のマイナスを補う工夫の余地がこの競技にはあるんです」と意欲を燃やす。(2019年ワールドカップ第4戦スイスのディゼンティスで稜線を駆け降りる小寺教夫さん)

◇欧州で高い人気の山岳スキー競技

 小寺さんが取り組んでいるSKIMOは、正式名称が「Ski mountaineering」で、日本では山岳スキー競技とも呼ばれる。自然の地形が生かされたコースで雪面をスキーで登り降りし、装備を背負って雪道を歩き、凍った岸壁をアイゼンなどを使って登るなど、強靭な体力と精神力が求められる。

 山岳スキーの起源は欧州にあるとされ、1897年、ドイツ人のヴィルヘルム・パウルケ氏がスキーでスイスのベルナー・オーバーラントを横断したのが始まりという。やがて、スイス、フランス、北米、南米、ロシア、スカンジナビア、中国、韓国、日本などでレースが開催されるようになり、2002年にフランスで初の世界選手権が開催された。現在、国際山岳スキー連盟(ISMF)には40を超える協会が加盟しているとされる。(2019年世界選手権スイスのヴィラール・シュル・オロンでインディビジュアル競技を激走する小寺教夫さん)

 SKIMOには、スキーマラソンのように完全なバックカントリーで行うインディビジュアル(個人)、一定の標高差の中で周回コースを設け、スピードを競うスプリント、男女選手によるミックス(混合)リレーなど複数の種目があり、2026年冬季五輪では一部が採用される。

(写真はいずれも小寺教夫さん提供。2023年1月10日発行の第215号に掲載)

 

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