昭和の風情を感じて、「やまだや」元置屋が文化交流の場に

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 三味線などを奏でる邦楽師の父と、日本舞踊の師範の叔母と、2人を支える「おかみ」の母。家族で暮らした昭和の風情が残る実家 (四日市市西新地)を、地元の人に使ってもらいたいーー。神奈川県在住の大久保箇子さん(64)は、母の遺志を継ぎ、元置屋だった時の屋号をそのまま使い、文化交流の場「やまだや」として再生させた。【「やまだや」で開かれた落語会の様子=四日市市西新地】

 諏訪神社(諏訪栄町)の近く、路地裏に入った実家は1948年に建てられ、祖母が置屋を営んでいた。かつて、周りには料亭や日本家屋があったが、今は駐車場やマンションになり、当時の面影はない。

 大久保さんが2歳の時に祖母が亡くなり、もう記憶はないが、2階に住んでいた芸妓に遊んでもらっていた。いつも和服で粋な父は、夏には襖を風を通す簾戸(すど)に替え、家の中にも粋を求めた。若かった大久保さんは古いものに価値を感じず、結婚し、反発する気持ちで家を出た。(大久保さん3歳のころの写真)

 父も叔母も亡くなり、一人になった母は、夫や義母義妹の思い出が詰まった家を大切に守り、「家をどうするの」といつも気にかけていた。壊してほしくないという思いを感じてきた大久保さんは「家は売らない、なんとかする」と92歳の母を看取った。

大久保さんは家を文化交流の場として再生させようと決意した。外観はそのままで、簾戸は残し、昔ながらの電球のオレンジ色の光がレトロな雰囲気を醸しだす。アグラ設計室の斉藤和人さんの提案でライティングも工夫し、個展ができるスペースを設けた。

 「建物の至る所がドキドキするほどかっこ良い。各部屋に吊り下げられた照明の笠は、ガラスのものも、木工と障子紙で作られたものも、ひとつひとつ手作りの趣がある。建具もひとつひとつ違います。すべて、遊び心いっぱいで作られています。この建物は地域の人を繋ぎ、地域の役に立てる役割を担います(要旨)」。斉藤さんは、自社のホームページで仕事に携わった感想を書き留めている。

 大久保さんの幼馴染みで、叔母に日本舞踊を習っていた四日市市小杉町の出口敦子さん(60)はアマチュア落語家。胡坐をかき、寝転んで落語を楽しむ場所を探していた。大久保さんに実家の再生の話を聞き、月に1回、落語会を開くことになった。

 訪れた人は「落語のお銚子の太鼓が心地よく体に響いた。ホールとは違う温かさを感じた」と話す。出口さんは「師匠やご家族が亡くなっても不思議な縁でつながっている。昭和の息遣いを感じるこの家で、芸術や文化に触れてもらい、新たな縁が生まれたら」と語った。(アルバムを見る出口敦子さん)

 大久保さんは両親、祖母、叔母の家への思いを大切にし、人と家、文化交流を丁寧に時間をかけてつないでいきたいと考えており、「今後の活動は来年からゆっくり開いていく予定で、当面はご紹介または直接お会いした方への貸し出しとさせていただきたい」と話している。情報はインスタグラムで発信。下記の2次元バーコードで閲覧できる。

(2022年12月3日発行のYOUよっかいち第214号にも掲載しています)