皇位継承をめぐる古代最大の内乱「壬申の乱」(672年)から1350年になることを記念する企画展が、三重県四日市市大矢知町の「くるべ古代歴史館」で開かれている。四日市市など県北勢地域(北伊勢)の廃寺からは、乱の勝者になった大海人皇子(天武天皇)ゆかりとみられる特別な瓦が見つかっており、それらの展示などから、この地域と乱との関係を解説している。【天武天皇と北伊勢のつながりが指摘される瓦を展示した企画展=四日市市大矢知町】
「壬申の乱と北伊勢の古代寺院」と題した企画展は、四日市市の主催で、鈴鹿市の南浦(大鹿)廃寺、四日市市の智積廃寺、朝日町の縄生廃寺、桑名市の額田廃寺から見つかった4つの軒丸瓦の文様部分を同時展示した。
軒丸瓦は、丸瓦の先端に文様の入った円板状の瓦当(がとう)をつけたもので、これらの廃寺の軒丸瓦には、天武天皇ともかかわりがあったとみられる奈良県明日香村の川原寺で使われた「複弁八葉蓮華軒丸瓦」と同じ、ハスの花をモチーフにした文様の瓦当が使われているという。
飛鳥時代に起きた壬申の乱では、天智天皇の後継を天皇の弟の大海人皇子と、息子の大友皇子が争った。いったん、皇位継承の意思がないと示すために吉野に逃れたといわれる大海人皇子だが、情勢を見て決起。吉野から三重県の伊賀、北勢、岐阜県の不破郡へと進み、自らを支持する兵を増やし、やがて乱に勝利したといわれる。
その後、大海人皇子は天武天皇となり、政治を差配したが、同じ文様をもつ軒丸瓦は、自らを支援した北伊勢の豪族らへの褒美のような性格として、この地域でも使われたのではないかという。
企画展は入場無料で12月4日まで。月、火曜は休館(祝日は開館)。10月29日、11月26日の午前10時からと11月13日の午後1時から学芸員による展示解説会がある。11月13日には久留倍官衙遺跡まつりが開かれ、近くの歴史公演でウォーキングや遺跡コンサート(午後2時半開演、参加自由)もある。四日市市下之宮町の「あさけプラザ」では、くるべ古代歴史館の出張展として、12月28日まで智積廃寺から出土した軒丸瓦などを展示している。問い合わせはくるべ古代歴史館(059・365・2277)へ
(ハスの花をモチーフにした文様の瓦は展示を撮影)