上々の天気になった10月16日、三重県四日市市の中心市街地は第9回四日市ジャズフェスティバルなどの催しが重なって、いつになくにぎわった。クスノキの並木で知られる中央通りでは「はじまりのいち」、四日市港地区では「BAURAミーティング」と、いずれも地域の将来像を考える催しがあり、記者も会場を歩いて四日市の未来に思いをはせた。【スケートボードを楽しむ若者たちでにぎわった中央通りのクスノキの下】
中央通りのスケートボードのにぎわいを横目に、まずは四日市港地区の「BAURAミーティング」へ向かった。JR線の踏切、国道23号をマイカーで超えて海側へ。相生橋からはSUP(スタンドアップパドルボード)を楽しむ人たちが見えた。サーフボードの上に立ち、パドルで漕いで進む。企画の主催者、四日市みなとまちづくり協議会のホームページを見ると、四日市港のクルーズとともに、参加希望者は定員の4倍を超す人気だったようだ。
車を駐車場に止めて納屋防災緑地へ。手作りの品の店や、謎解きをしながら港地区の魅力を発見する「四日市港楽習さんぽ」の受け付けなどがあり、親子連れらが、緑の上でのびのびと遊んでいた。人気ベーカリーのパンや漁協によるアサリやワタリガニの販売もあったようだが、記者が来たのは遅く、すべてが売り切れていた。
緑地の一角では、水辺の魅力を生かした港地区の再生をテーマにミニセミナーが開かれていた。講師は、四日市出身の建築家で国交省ミズベリングプロジェクトのディレクターを務める岩本唯史さん。岩本さんは世界や全国の港での取り組みなども紹介した。50人を超す人がテントからはみ出して耳を傾けていた。港と四日市のまちづくりに関心をもつ人が少なくないことがうれしい。
四日市港は室町時代の伊勢神宮の記録に「四ケ市庭浦(ばうら)」と記述があったとされる。「庭」には広い場所とか、波の平らな海面という意味があり、「浦」には海や湖の波の静かな入り江という意味がある。古くから良港で、四日市の発展の基礎でもあったわけだ。
記者は1989年に四日市市に移り住んだが、伊勢湾台風の被害を軽減させたとされるヨハネス・デ・レーケの「潮吹き堤防」や、古い建物の料亭などもあって、ヨーロッパの旧市街的な魅力をつくれば、観光地の乏しい四日市の「行ってみたい場所」になるのではと思った。ただ、当時、すでに市役所内では「港地域を観光などに活用するには着手が遅すぎる」という声が聞かれた。そんなこともあって、「BAURAミーティング」のような企画が、今もなお開かれていることは、うれしかった。
ひとつ、記者にとって物足りなかったのは、市街地と港地区の間を行きかう人の流れをどうつくるかという試みだった。市街地がとてもにぎわっていただけに、JR四日市駅か市役所あたりから、人力車でも臨時のバスでもいいので、何か利用できる交通手段があるとよかったと思う。昔からJR四日市駅と国道23号が壁になって、市街地と港地区の交流が妨げられているという声は聞く。四日市商工会議所に問い合わせても、新しい交通手段などの具体的な計画はまだないという。港を生かすまちづくりの実現のためにも、ぜひ、議論のきっかけをつくってほしい。