四郷地区はその昔、点在する寒村で四郷谷や日野谷と呼ばれ、天白川上流域の台高地には原野が広がっていました。室町時代頃に天白川流域に人々が住み始め、狭い土地を農耕地に作り変えました。江戸時代後期から明治初期に、大庄屋であった伊藤小左衛門(5世)により、生糸とお茶の工場生産が成され、明冶初期の国家財政の一端を支えました。その企業家精神は甥の伊藤傳七(10世)に受け継がれて、革新的な近代機械紡績業、三重紡績(後の東洋紡績)への発展に活かされ、四日市の近代工業化の先駆けとなりました。三重紡績は県下一の大工場だったと言われています。明治22年に東日野・西日野・室山・八王子の4つが合併したことから三重郡四郷村と名づけられました。
町名の由来は、小林は旧称は日永野で、幕末期の開拓者、小林藤次郎にちなみます。笹川は地内を流れる天白川の愛称。西日野の日野は日が当たる野の意味。八王子は牛頭天王(こずてんのう)の8人の子供の意味で、全国各地の八王子も同じ意味のことが多いようです。町内に吉田神社(祭神:稲田姫、八王子他)があることに由来します。室山は天平18年頃、行基が建立したとされる無漏山(むろうざん)法蔵寺にちなんだものです。高花平は小字名から付けられました。
協力:四日市観光ボランティアガイド 監修:四日市市立博物館
※2022年9月3日(211号)発行 紙面から