【四日市公害裁判判決から50年】公害市民塾  伊藤三男さんに聞く

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 四日市公害裁判の判決から7月24日で50年という節目となる。四日市公害についての継続的な歴史学習を中心に語り部活動などを行っている市民活動団体四日市再生「公害市民塾」の伊藤三男さん(76)にこれまでの歩みと、今後の課題について聞いた。【当時の資料を見る伊藤さん=鈴鹿市で】

 伊藤さんは「公害被害に苦しむ人のためにできることを」と考え、公害被害記録家の故・澤井余志郎さんや原告の故・野田之一さんと交流し、裁判を支援。他の四大公害は被告が一社で、四日市公害は複数の企業が汚染物質を排出していたため因果関係の証明が難しかった。1972年「企業は経済性を度外視して、世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべき」という画期的判決が出た。伊藤さんはそれを聞き「ゴールではなく、四日市の環境を変えていくスタート」と感じた。判決後、市民、企業、行政が一体となった取り組みにより、76年にはぜん息の主な原因とされる二酸化硫黄濃度が、国の基準を達成するなど、大幅に環境が改善。88年、公害認定制度が廃止され、患者認定はなくなったが2021年度末で310人の認定患者がいるそうだ。

 存命中の野田さんとの対談や澤井さんの生涯をたどった「よしろう小伝」など伊藤さんの目を通してこの50年間を振り返る本「青空のむこうがわ」が7月24日に風媒社から刊行される。「50年という節目というだけではなく、環境問題を考えるステップにしてほしい」と話す伊藤さんが今、懸念するのは地球温暖化問題。「経済を優先し石油化学企業を誘致し四日市公害が起こった。温暖化問題では、市が企業と一緒に経済を優先させるのではなく、温室効果ガス排出の規制を徹底してほしい」と語った。

【当時の四日市の様子(伊藤さん提供)】