羽津地区は、垂坂丘陵から伊勢湾まで続く広大な丘陵地に、自然村が点在していました。江戸時代は桑名藩領で、南北に走る東海道と、北西に通じる大矢知街道の交通の要所でもありました。羽津という語は、応永12(1405)年の古文書に「羽津山正法寺(はづさんしょうぼうじ)」とあるのが最初のようです。由来は、古代郷名の杖部(はせつかべ)が訛った説と、「土地の先端の外れ」が訛ったという説があります。ちなみに、知多半島の先端の古称は幡豆(はず)郡で、現在、愛知県西尾市には幡豆町があります。明治22年に羽津村・吉沢村・八幡村・別名村・鵤(いかるが)村の5村が合併して朝明郡羽津村となりました。
町名の由来は、大宮は大きなお宮で志氐神社のこと。金場は金物屋・鍛治屋などが集中したところ。白須賀は、白は美称で須賀(すか)は、砂浜・浜辺。城山は羽津城がある山。八田の八は、懇田(治田(はりた))の換え字で開墾地。富士は、富士電機の工場が設置されたことにちなみます。別名は、11世紀後半以降、国衙領の私的開墾を認められた在地有力者が税を納めた土地に由来します。「いかるが」は、古代の鵤御厨(いかるがみくりや)にちなんでいますが、法隆寺の末寺であった斑鳩寺とは関係無いという説が有力です。山手は山の方にある土地。霞と緑丘は響きの美しさから付けられました。