四日市市役所から北東約6kmの所に位置する富洲原地区。伊勢湾に面し、その昔は広大な砂浜が広がっていました。室町時代の頃に海流の働きで陸地が形成されると、人々が移住して村ができ、江戸時代にはイワシやハマグリなどの漁業と廻船業で栄えました。
富洲原の名前は明治22年、3つの村が合併した際に付けられたもので、富田一色村の「富」、天ケ須賀村の「須(洲)」、松原村の「原」から一文字ずつ取ったとされます。「富田」は肥沃な農耕地、「一色」は租税を1種類だけ負担する土地、「天カ須賀」は天は海辺や海人(漁師)、須賀は水中に土砂が盛り上がって水面上に表れる土地(砂州)の意味があります。「松原」は松林のある砂浜を意味し、万葉集に歌われた聖武天皇の歌「吾の松原の地」とされています。旧村の名残として、富洲原小学校にある3つの校門は、それぞれ旧村に向いて建てられているそうです。
ところで、地区名と町名では洲と州で漢字が違います。これは、昭和41年「新住居表示制度」により、町名は当用漢字の「州」を使うことになったためです。
写真:聖武天皇社(提供:四日市観光協会)